男 は言った。

「父上、今なんと?」







二 十畳程の居間に、大柄の野太い中年男と、向かい合って細もての背の高い男が座っている。




「こ との成りは急であるが、お前ももう十七だ。早い話ではあるまい」


「私に妻を召取らせるとい うのですか?」




そうだ、と顎鬚が喉仏にぴったり 食い込む程深く頷いて、『父上』と呼ばれた男は手に持つ扇子をひけらかした。


「良い縁談が 舞い込んで来てのう。わしとて、お前のことを心配しておるで、はよう嫁も貰わんと心寂しいかと思うてな」
いやっはっはと背を反らせて 笑う、まるまる肥えた白豚の様な自分の父を見、男は眉を潜めた。


どうせ、世の人に浮説を立 てられるが癪なのだろう。





「な んだ、浮かない顔をして。嫌な訳が無かろう?妻を召取るというのに、断る奴など見た事無いぞ」



― ならば俺はどうだろう




『なに、断る事も出来よ う』と言ってくれる輩もいるかもしれぬ。
だがこの平安の世、親が勝手に子の結婚話を進める事が出来るというのもまた事実。それどころ かそれは至極一般的な事なのだ。



裕福な貴族に生まれ落ちた男の宿命 か。




─もしここで断れば、俺はこの場を覆す事が 出来るだろうか。

『顔もお人柄も知らぬ女をどういう訳で妻に出来ましょうに』と。


し かし、そんなことをしたために何か変わるのかと言っても、何も変わらないのだ。
父が逆上するだけとなると、これ ほど面倒な事は無い。




「決まりかな?時春よ」



男 は目を閉じて、またゆっくり開いた。




「わかりま した。父上」













1ヶ 月後。

地には雪が積もり、凍るような風が頬をかすめる。男は床から起き上がると、寒さで肩を震わせた。布団の上 に掛けていた袴を引っ張り、無造作に被る。

ふと側から侍女達が騒がしく廊下を行き交う音がした。見ると、どの者 も皆、重そうな膳を忙しなく運んでいる。
なぜ、とはまた、解り切っている事であろうに。


今 宵は宴、
─俺と、顔も知らぬ女の、結婚式だ。



ま だ昼前であるが、準備は着々と整っているようだ。
時春はもう身なりを正して、自分の目に広がり映るこの光景を何も言わず眺めていた。 飾られた居間、うまそうな馳走。真冬だと言うのにきびきび動く家来たち。



─ 父、泰春はこの村の地頭であるが、それの金だけではなく公に出来ぬ大金を何処ぞから貰っている。俺は知っているのだ。

父、 安春がある商人と隠れて金の取引 をしているのを前にちらと見た。俺がそれを知っているという事を父は知らぬが、たとえばれたとて、俺を咎める事は無いだろう。咎めねばならぬ程自分の息子 が親不孝者だとは、毛頭思っていないからだ。

そして当然、父は賄賂を止める事は無い。




着 々、着々と準備が整う。
時春は完全に傍観者になり、もう何も考えさえしなくなった。




「そ れで、花嫁の方の準備はどうじゃ」

「すべて整っておりまする。今に侍女どもがお連れして参りましょう」

「そ うか、楽しみだのう」


ぼーっとしていると時は瞬く間に過ぎて行くもので、このように、あっ という間でもう夜だ。

泰春は花嫁方の父親に娘の事について聞き出している。どうやら話は弾んでいるようだ。花嫁 が来るまで酒は飲めぬ事になっておるからまだ杯を交わして無いにも関わらず、二人は他愛の無い世ばなしで盛上がっている。




と、 侍女の一人が部屋に声を掛け、するすると入って来た。


「花嫁さまが、お入りになられます」


侍 女が淡々と読み上げる様に言うと、居間中がざわめいた。



襖が大きく開 き、漆黒の豊かな髪を肩に垂らして頭を深く下げた花嫁が部屋に入って来た。




お お、という漏れ声がどこからか聞こえる。





「はっ はっは。そち、そんなに強張らずに、顔を上げよ」



花嫁はゆっくりと、 頭を上げた。




その場面を興味無さ気に見ていた花 婿は、その一瞬、目を見開いた。


三十は居る居間中の人間が、はっと息を飲むのが聞こえる。 なかでただ一人、娘の父親は、満足そうに目だけで辺りを見回し、
最後に目線を己の娘に落した。



「こ れはこれは、なんと美しい!」


泰春が扇子を振り開かせ、感心したように自らを扇ぐ。


「し て、名は?」




「…雪乃、と申します」




貫 き透き通る様に冷たい、小さな声で花嫁が口を開いた。




「せ つの、か。まことに良い名じゃ。この娘にぴったりでは
ないか」

「おお、もったいのうござい ます。されどこれは私 の自慢の娘でありまして、今後家を離れるので、私としては少々もの寂しい ところがあるのです」

「それはそうで す ぞ、竜風殿。わしには娘こそおらんが、その気持ちはよう解る。わしにはもう年頃の姪がおってな、それはそ れは可愛い娘じゃったがある日・・・・」


父 親の自慢話や、竜風のねちっこい笑い声は、時春の耳には届かなかった。






先 程花嫁がゆっくり顔を上げたとき、一瞬だけ目が合った。
時春はその一瞬たじろいた。








別 に、皆が言うように雪乃が尋常ではなく美しかったからという訳ではない。確かに雪乃は美しい。だが、それだけでは無い。

そ れだけでは、無いのだ。




目線がかちと合ったその 薄明るい瞳の中には、言葉では言い表せぬ強い感情が渦巻いていた。





言 葉では言い表せぬ、哀しみであった。







 ― 黒の目の初対のをとこに観ては今
         今宵祝宴、鶴だに知らせむ
















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